学力不振と学校でのいじめ・・不登校になった暗黒の中学生時代

元不登校児の @megrepper です。

 

小学生の頃に両親の面前DVといじめを経験した私でしたが、中学校入学を期に

隣町への引越しが決まり、新しい生活をスタートさせます。小学生時代からの無気力を

多少引きずっていたものの、中学校に入学したら周りのみんなも少し大人になるんだし、

加えて小学生時代に進学塾に通い、勉強にはそんなに不自由しなかったこともあってか

megrepper
さすがにいじめとかには合わないだろうし、勉強もなんとかなるよね。

と少しばかり楽観的に構えていたのですが、実際のところは・・。

今回はそんな私の中学生時代について振り返ってみたいと思います。

中学校は開校したばかりの新校舎。新生活に思いを馳せた

新しく入学した中学校は、私が引越しをした年の4月に開校する新校舎でした。

つまり私はその中学校の第一期生という扱いでした。

「小学校とは違って、まったく新しい環境からやり直せるんだ!」と、引っ越した当初は

新しい中学校の下見をしに行っては、新生活に思いを馳せたこともありました。

 

ただ、第一期生とはいっても近隣には小学校もあり、大半はそこの卒業生が入学してくるような

扱いでしたから、その年に引っ越してきた私は、半ば転校生のような状態での入学でした。

 

転校生あるあるですが、すでに教室では小学生時代のグループが出来上がりつつある中で

「あいつ誰・・?」って感じの雰囲気で接してくる同級生がちょっぴり怖かった印象があります。

それでも、中学校では簡単なオリエンテーションや宿泊研修のプログラムが組まれており

少ないながらも話しかけることのできる知人を増やしていきました。

学校の勉強がまったく分からなくなった中学1年生の頃

期待と不安の中学生活をスタートさせた私でしたが、問題が起こるのに時間はかかりませんでした。

真っ先につまづいたのが勉強面です。

 

中学校になると教科ごとの範囲も広がり、特に数学・理科といった科目においては論理的思考力を

求められるようになるほか、新しく「英語」という科目が加わってきます。それに課題や提出物、宿題の

量も小学校とは比べ物にならないほど多くなってきます。私は特に、理数系の科目の複雑さと

英文法の理解がまったくできなかったほか、期日までに提出物を出すということに大きな困難を

覚えるようになりました。

 

数学なんか、「文字と式」あたりでつまづき始め、「関数」「方程式」に入る頃にはさっぱりでした。

 

教科によって担任の先生が変わるのも不安でした。

小さい頃から新しい環境に慣れるのを不得意としていたせいか、新しい先生の授業方針に

付いて行くのにも時間がかかっていたような記憶があります。ただでさえ授業の内容が

分からないのに、質問することもできない悪循環にも陥っていきました。

 

巷ではこうした中学校進級直後に現れる問題を「中1ギャップ」と呼ぶこともあるそうですが、

当時の私はまさしくこの問題にはまっていたのかもしれません。

学校からの疎外感を感じれば感じるほど成績は下がり、その反面欠席日数は増えるばかりでした。

中1の3学期には欠席日数が出席日数の半分に迫る勢いでした。

 

中1ギャップ(ちゅういちギャップ)とは、日本の一部の児童が、小学生から中学1年生に進級した際に被る、心理や学問、文化的なギャップと、それによるショックのことである。

中1ギャップを引き起こす原因として、小学生の頃にはないか、稀薄である先輩後輩という関係の出現、小学校に比べたいじめの激化、異なった小学校から集まった人間同士での人間関係の再編成、小学校からの勉強の難易度の上昇などがある。結果として、学校に不適応になった人が、不登校、引きこもりになったり、いじめを受け自殺をする場合もある。

中1ギャップは、必ずしも入学直後に起こるわけではなく、中学校で最初の1年の生活を送る上で徐々に顕在化する場合もある。

(引用:ウィキペディア

 

中1ギャップの実態と対策!小学校との違いに6割以上の子どもが悩む

http://www.sisyunki.net/article/tyuuiti-gyappu-taisaku.html

ちなみに、小学生の頃から続いていた家庭内の問題はどうなったかというと

父方の祖母が他界後、今度は祖父が認知症になり深夜徘徊などをするようになったため

実家のある福岡県から千葉県の私の家で引き取ることになりました。

 

小学生の頃のような激しい夫婦喧嘩は徐々に減っていったものの、母親の飲酒は

続いており、時折「寝ゲロ」の介抱をしなければなりませんでした。また、この頃から私も

反抗期になっていったのか、母親に強くあたることも増えていったように思います。

「クラスの邪魔」と言われて不登校になった中学2年生の頃

2年生に進級したものの、欠席日数は一向に減る気配がありませんでした。

加えて、この頃自宅にはほぼ私専用のパソコンとインターネットが導入されることになり、

これも私の欠席を加速させる要因になりました。

当時のインターネット接続はというと、電話回線を使った「ダイアルアップ接続」による

接続方法が主流で、インターネットに接続するためにはプロバイダのインターネット接続用

電話番号(アクセスポイント)にパソコンのモデムという機器からダイアルする必要がありました。

そのため、プロバイダの定額利用料金とは別に、プロバイダと通信をするための電話料金が

別途必要でした。

 

唯一プロバイダとの電話料金を一定時間定額化できる方法としてNTTの「テレホーダイ」と

いうサービスがあり、この利用時間が夜11時から翌朝8時と深夜に限られていたため、

パソコンを使ってインターネットをするj時間は主に深夜から早朝になり、どんどん生活リズムが

昼夜逆転していきました。

てれほーだい 【テレホーダイ】

NTTが提供する定額制電話料金サービス。深夜11時から翌朝8時までの時間帯に限り、指定した2件までの通話先への電話が、定額料金でかけ放題になる。ただし、通話先は同一区域内か隣接地域に限られる。主に、プロバイダーのアクセスポイントの電話番号を登録して利用するユーザーが多い。ISDN用のINSテレホーダイもある。

(引用:ASCII.jp デジタル用語辞典

当時は夜11時から朝8時近くまで徹夜でインターネットをしては、ふらふらになりながら学校に行くか

学校に行く気がしない時は、日が昇る頃になってから寝る・・。そんな毎日を繰り返していました。

 

また、この頃になると学校での人間関係にも亀裂が入り始めます。

2年生に進級するにあたってクラス替えがあったこと、学校を休みがちで「浮いた存在」になっていた

ことが災いしてか、再びいじめのターゲットにされてしまいました。

いじめの内容は小学校よりはマシなものの、無視や陰口、私の触ったものに触れないようにする

バイキン扱いなどをされ、ますます学校へ行く意欲は急降下していきました。

 

そんなある日のこと、私の不登校を決定づけるような事件が起こります。

 

その日は朝から登校し、英語の授業を受けていたのですが、私が授業中に指名され

問題の回答を答えるという状況になったのですが、当然授業にはまったくついて行けていない身。

答えを渋っていると、教科担任の先生からこんな発言が飛んできました。

教科担任
まったく・・。こんな簡単な問題も答えられないのか
megrepper
はい、すみません。
教科担任
お前みたいな学校を休みがちな生徒はクラスの迷惑なんだよ。邪魔。
megrepper
・・・・・・・・。

正直ショックでした。

学校を休みがちになったのはこちらにも多少非があるのは自覚していたものの、それはさておき

たかが問題一問答えられなかったからといって「クラスの迷惑」なんて言わなくても・・。

そんな教科担任の発言を聞いたクラスメイトの中からは、私のことをクスクス笑う声も聞こえてきました。

この日から私は学校に行くのを完全にやめました。

学校へ行くことをやめ、私は完全な引きこもりになった

こうして一切学校に登校することを止めた私でしたが、当時の生活はひどいものでした。

 

夜になる頃に起き出して親が用意した夕ご飯を人目を避けて食べて、それからインターネットに没頭。

朝までインターネットをするとそのまま寝て、また夜になる頃に起きる感じで、風呂にはほぼ週一回しか

入らず、家の外に外出することはまったくできなくなりました。両親は私が不登校になる前から共働きを

していたため、あまり顔を合わせることもありませんでした。

 

検索エンジンを使って「自殺」や「死にたい」とよく調べるようになったのもこの頃からです。

 

この頃の心の支えといえば、インターネットで見つけた不登校を取り扱う掲示板サイトと、

そこで知り合った仲間とするチャットやMSNメッセンジャーだけでした。

毎日のようにチャットや書き込みに明け暮れた、不登校系掲示板サイト「HAPPY倶楽部」

 

ところで、不登校や引きこもりになると、年代を問わず昼夜逆転の生活になってしまうのは

何故なのでしょうか? 私もてっきり睡眠障害や精神疾患が原因だとばかり思っていたのですが

最近あることに気が付きました。

もちろん、社会復帰を目指すのであれば昼夜逆転生活は大きな障壁となりますが、

心を休ませるためには案外必要なことなのかもしれません。

不登校掲示板サイトでのオフ会、参加者は複雑な家庭環境の人ばかり

そんな折に、当時よく集っていた不登校系掲示板サイトでオフ会をすることになりました。

 

首都圏と関西に住んでいる人が中心になり、渋谷で集まることになったのですが、

当の私は完全な引きこもり。外出もここ半年はしていないという状態でかなり抵抗は

あったのですが、なんとか見知らぬ人の視線に耐えつつ、電車で現地へ向かいます。

実際に集まったのは中学生から高校生の年代の人で、絶賛不登校中の人から

引きこもりの経験者まで数名でした。チャットでそれなりに人となりは知っていたものの

実際会ってみると実年齢よりも若そうだな。と思える人が多かったです。

(・・引きこもっていると外出しなくなるせいか、肌荒れと無縁になる人が多いのかな?)

 

複雑な家庭環境育ちの人も多かったように思います。

「性的虐待の経験や高校生にして閉鎖病棟入院歴あり、今でもバリバリのリストカッターです」

なんて子もいましたねぇ。私も小学生時代にそれなりの家庭環境の悪さを経験しましたが

世の中いろんな人がいるんだな・・。ということを改めて感じたのを覚えています。

 

中でもフリースクールに通っている人はちょっと羨ましかったですね。

フリースクールでは一人ひとりの理解度に合わせた教育が施されるほか、自分たちで

今日の日課を決めて行動できたり、どんな性格の子どもであっても別け隔てなく接して

もらえる雰囲気があるそうで、こういう所なら私も上手くやっていける気がするのにな・・。

とつくづく思いました。

 

対して、適応指導教室に通っている人は大変そうでした。

適応指導教室は「籍のある学校に復学すること」が至上命題で、教室への出席は

学校への出席として認められることも多く、とにかく「補習塾」的な色が強いんだとか。

(「適応指導」って名前もちょっと嫌だな・・と当時は思ったものです。)

 

掲示板では、適応指導教室からフリースクールへドロップアウトしたなんて子もいたりしたので、

やはり不登校の子にとってはフリースクールのほうが精神的に楽なようです。

学校カウンセラーを勧められるも、対人恐怖症気味だった中学3年生の頃

中学2年生から不登校を始めた私でしたが、いつの間にか中学校も最終学年に突入しました。

 

当時の私は不登校生へのサポートも充実している通信制高校か定時制高校への進学を希望

していたのですが

母親
通信制や定時制だなんて世間体が悪い! 高校に行きたいのならどこでも良いから全日制に行きなさい!

という親の反対もあって、全日制の高校への進学を目指すことになりました。

それに合わせて、学校の先生からは両親に対してこんな提案が・・。

先生
全日制高校に進むのであれば、少しでも学校へ出席したという実績があるほうが良いです。教室や保健室への登校が無理であれば、教育相談室が新しく校内に設置されましたから、そちらに顔を出してみては・・? 相談室に登校した日は出席扱いにしますよ。

当時私の中学校に設置された教育相談室とは、学校カウンセラーの方が専用の部屋に常駐し

生徒ごとに予約時間を区切って対応してくれるというもの。別室登校といえば保健室登校が

よく挙げられますが、本来保健室は本来怪我や病気をした生徒が突発的に利用するものです。

「いつ誰が保健室にやって来るかわからない」という不安があった私に保健室登校という選択肢は

ありませんでした。

 

その点予約制の教育相談室であれば、その時間はほかの生徒が入ってくる心配はありません。

私は定期的に教育相談室に通うことを決めました。

 

しかし、教育相談室に通うにあたって、まだいくつかの問題が私には残っていました。

megrepper
・登校時間に大勢の中学生に混じって登校するのは怖い

・でも、登校時間外に制服を来て通学するのも、近所で噂されそうで怖い

・登校中にグラウンドを通って、誰か知っている人に会ってしまうかもしれない

・自分の下駄箱を使うことで、登校しているのがクラスメイトにバレるかもしれない

 

・・今思うと完全な対人恐怖症ですね。

 

そこで、学校にはこんな配慮をしてもらうことにしました。

  • 教育相談室への登校時間は、授業が始まってからの10時以降とする
  • 教育相談室からの下校時間は皆が給食に集中している12時台
  • 教育相談室には私服で登校できるようにする
  • 登下校には職員通用口と来客用玄関・スリッパを使えるようにしてもらう
  • 同学年のクラスが午前中、体育でグラウンドを使用しているときは休み

 

ちなみに教育相談室で普段何をしていたのかというと、

 

特に勉強をするなどということもなく、学校カウンセラーの人とただダベってただけです。

 

当時どのようなことを話していたかはもう忘れてしまいましたが、普段家でしていることとか

(この頃私は個人ホームページを持っていたので、その話題が多かったです。)体調のこととか

相談室に置いてあるメンタルヘルス関連の本の話題をよく話していたような気がします。

カウンセラーの人と段々打ち解けてくると、私が職員通用口からゆうゆうと10時に登校してくることが

話のネタとなったこともあり

カウンセラー
megrepper君はまるで校長先生の出勤みたいよね。時間もフレキシブルだし(笑)
megrepper
あははw

なんて笑い話になったこともありました。

 

言われてみれば、この時期から昼夜逆転や反抗期は大分落ち着いてきたように思います。

不登校生にとって、他人のコミュニケーションを取り続けることは精神の安定に繋がるのかもしれません。

不登校児の高校受験。最後まで勉強をすることはなかった

教育相談室に通い始めてから半年、私にも高校受験の時期がやってきました。

 

受験する高校は隣町にある私立高校1校のみに絞りました。(というかそこくらいしか行ける

高校がなかった・・)事前に両親と高校見学にも行き、教頭先生と面談したりもしました、

中学校の先生曰く、「過去に不登校だった生徒の受け入れ実績もある」とのことでしたが

「本当は通信制か定時制高校に行きたいのに・・」「果たして毎日のように決まった時間に

学校に通うことなんてできるのだろうか?」と最後まで不安だったことをよく覚えています。

 

そんなこんなであっという間に受験当日を迎えます。

megrepper
どうせ心からは行きたいと思っているわけじゃないし、もし落ちたら通信制か定時制に行くことにするからいいや。

と、受験勉強は一切しませんでした。

受験自体はテストは高校の教室、面接は体育館を使って行われるのですが、

ただただお腹が痛かったのをよく覚えています。

 

案の定テストはさっぱり分からなかったのでさっさと諦めて、面接に臨んだわけですが

中学校時代の思い出といえば「不登校」くらいしかない私。面接では自己紹介も程々に

自分が不登校になったわけを淡々と語るという無謀な行動に出ます。

 

それでも面接官の先生は

先生
なるほど・・。そんなことがあったんですね。学校を長くお休みしていて、高校から来るのは大変だろうけど、大丈夫そうですか?

と、親身に話を聞いてくれました。

 

受験を終えてからの私はこんな感じ。

 

・・が、その数日後に届いたのはなんと「合格通知」でした。

人生なにがあるか分かりませんね。本当。

不登校の卒業式。卒業アルバムは?卒業式への参加は?

なんとか首の皮一枚で中学卒業後の進路を決定した私でしたが、中学校を卒業するにあたって

最後の問題が出てきました。それは

  • 卒業アルバムに個人写真や文集を掲載するのか、しないのか
  • 卒業式にはどのような形で出席するか、しないのか

ということです。

当時の私はどちらもしたくないという意見でしたが、学校側からは以下のような返事が返ってきました。

先生
卒業式への出席は後日校長室で受けるなど配慮することはできます。ただし、卒業アルバムへの写真と文集の掲載はしてください。

・・卒業式は配慮してくれるのに、たかが記念品のアルバムへの掲載を拒否できないのは今でも謎です。

 

この件はちょっと気になってネットを検索してみたのですが、卒業アルバムの写真については合成してでも

載せる学校が多いようです。家で撮った個人写真を、さも学校で撮った写真のように背景を差し

替えてくれる場合や、クラスの集合写真に至っては別の子の体と繋ぎ合わせて合成する場合、はたまた

写真屋さんを自宅に呼んで個人写真を撮影したケースまで様々なようです。

 

担任の先生と写真屋さんが自宅訪問、個人写真を撮影した例

「小学生で不登校!?」 https://ameblo.jp/firebard3/entry-11977991198.html

 

クラスの集合写真に、別の写真を合成された例

「我が家の不登校児たちの日常」 http://hutoukou-smd.sakura.ne.jp/wp/2016/10/25/classbook-2/

 

個人写真を家で撮影、背景のみを差し替えた例

「いつかきっと」 https://ameblo.jp/1tsukaki10/entry-10962671335.html

 

私の場合は、卒業アルバムの個人写真は学校での撮影日とは別に親と写真館に行き撮影、

卒業文集については作文用紙に書いた文章を親を通じて学校に渡しました。

何度も言いますが、本当はどちらも絶対に載せたくなかったんですがね。

卒業式については、別の日に校長室で受けました。

 

PTA役員や地域のお偉いさんの長々とした祝辞もなく、立会人は母親と担任の先生、学年主任の先生のみ

出席者は私だけというさっぱりした式で、時間も10分かかるかかからないかぐらいだったかと思います。

いざ卒業してみると「こんなもんか」というのが正直な感想でした。

 

毎年卒業式のシーズンになると、Yahoo!知恵袋などに「卒業式には出席したほうが良いか」といった

不登校当事者の人からの質問がよく掲載されますが、これも学校から配慮をしてもらえるのなら

皆とは別に受けることを私は強く勧めます。体調不良や周りからの視線を重荷に嫌な思い出を作る

くらいなら、新生活のことにエネルギーを費やすほうがよっぽどマシだからです。

ここまでのまとめ

やっぱり書いてみて思うのは、不登校ながら様々な大人に守られていたんだなー。ということに尽きます。

 

いじめられたことや、不登校になるきっかけを作った教科担任の一言は今でも忘れることができませんが、

それも人生の一部分。ある意味ほかの人には真似のできない人生を送ってきた証拠とも言えます。

なにより、当時から私がインターネットに没頭していたことで、一時はIT関係にまで就職することができたの

ですから、これもまた人生の賜物と言えるのかもしれません。

 

・・っと、次回は無事高校生になったmegrepperの日常と、精神科デビュー!?について書きたいと思います。

それではまた!